2011年06月23日

東日本大震災復興支援6.11チャリティーイベントセミナー

6.11チャリティーイベントと同時にセミナーを開催致しました!
建物再生事業部も参加している京都を中心に活動している『古材文化の会とは?』について副会長の藤岡龍介氏を。同じく参加している東京に事務局のある『既存建物耐震補強研究会』技術顧問の保阪貴司氏が数度訪れた被災地についてお話頂きました。

?『特定非営利法人 古材文化の会とは?』副会長 藤岡龍介氏
事務局がある京都を中心に近畿地方の方だけでなく全国から様々な業種の方が参加しています。
当社建物再生部も数年前より参加させて頂き、文化財登録する事を目的とした文化財マネージャー養成講座を卒業し、晴れて文化財登録をする資格を得ることができました。



多くの貴重な建物を使いながら長く残していく為に、建物調査を入念に実施し保存を前提として活用提案まで実施して行く活動をしております。
そんな会のご紹介として、日本としての歴史や文化から今に伝わる建築とその技術。木造建築である木の環境サイクルでエネルギーの効率化。何より今後の未来に向けて見えてくる会の役割は、地域コミュニティといった地域づくりへと向って行くという大変重要な役割を可能とする事を説明頂きました。

?『東北地方太平洋沖地震の報告』既存建物耐震補強研究会 技術顧問 保阪貴司氏
東京に事務局があり、全国より多くの建築関連の方が参加している会である、「既存建物耐震補強研究会」。
日本には耐震の必要な建物が沢山あるが、今までは補強するという考えではなく築30年もしたら建替える選択が主流でした。スクラップ&ビルドから住宅のストック化へとシフトして行く中で、建物の性能を見抜く力や補強技術といた所が向上する中組織として全国に耐震補強を推進していく意味でも重要な組織です。
技術顧問の保阪氏は、TVや新聞などの取材もあって数度に渡り被災地へ訪問し自身の目から見えて来た事をお話し頂きました。



被災地の写真を観ながら大変な被害について説明しました。建物がそっくりひっくり返ったり地盤が大きく陥没したり、被災箇所によって被害は大きく影響しています。地震、水害、風害など震災被害は多岐に渡る中で正確な調査判定方法の流れについて紹介し、震災前は勿論ですが震災後の調査方法についても講演頂きました。

多数の参加者が高い関心を持って御公聴頂きました。震災から丁度3ヶ月という時に、大変な被害を見つめなおすと共にこれを教訓に、現在の住まいや生活環境を見直す必要があるのではないでしょうか。
  


Posted by 常盤工業2 at 11:45

2011年06月23日

東日本大震災復興支援6.11チャリティーイベントセミナー

6.11チャリティーイベントと同時にセミナーを開催致しました!
建物再生事業部も参加している京都を中心に活動している『古材文化の会とは?』について副会長の藤岡龍介氏を。同じく参加している東京に事務局のある『既存建物耐震補強研究会』技術顧問の保阪貴司氏が数度訪れた被災地についてお話頂きました。

①『特定非営利法人 古材文化の会とは?』副会長 藤岡龍介氏
事務局がある京都を中心に近畿地方の方だけでなく全国から様々な業種の方が参加しています。
当社建物再生部も数年前より参加させて頂き、文化財登録する事を目的とした文化財マネージャー養成講座を卒業し、晴れて文化財登録をする資格を得ることができました。



多くの貴重な建物を使いながら長く残していく為に、建物調査を入念に実施し保存を前提として活用提案まで実施して行く活動をしております。
そんな会のご紹介として、日本としての歴史や文化から今に伝わる建築とその技術。木造建築である木の環境サイクルでエネルギーの効率化。何より今後の未来に向けて見えてくる会の役割は、地域コミュニティといった地域づくりへと向って行くという大変重要な役割を可能とする事を説明頂きました。

②『東北地方太平洋沖地震の報告』既存建物耐震補強研究会 技術顧問 保阪貴司氏
東京に事務局があり、全国より多くの建築関連の方が参加している会である、「既存建物耐震補強研究会」。
日本には耐震の必要な建物が沢山あるが、今までは補強するという考えではなく築30年もしたら建替える選択が主流でした。スクラップ&ビルドから住宅のストック化へとシフトして行く中で、建物の性能を見抜く力や補強技術といた所が向上する中組織として全国に耐震補強を推進していく意味でも重要な組織です。
技術顧問の保阪氏は、TVや新聞などの取材もあって数度に渡り被災地へ訪問し自身の目から見えて来た事をお話し頂きました。



被災地の写真を観ながら大変な被害について説明しました。建物がそっくりひっくり返ったり地盤が大きく陥没したり、被災箇所によって被害は大きく影響しています。地震、水害、風害など震災被害は多岐に渡る中で正確な調査判定方法の流れについて紹介し、震災前は勿論ですが震災後の調査方法についても講演頂きました。

多数の参加者が高い関心を持って御公聴頂きました。震災から丁度3ヶ月という時に、大変な被害を見つめなおすと共にこれを教訓に、現在の住まいや生活環境を見直す必要があるのではないでしょうか。
  


Posted by 常盤工業2 at 11:45

2011年06月13日

東日本大震災復興支援6.11チャリティーイベント開催しました!

6月11日(土) 東北地方太平洋沖地震から3ヶ月
首都圏や各地方の被害が余り及んでいない地域は、仕事や経済のダメージを除けば、日常生活で不便な思いに出会う事も少なくなって来たのではないでしょうか。
しかし被災地の現在の映像からは、まだ何も好転した様子の見えない風景が大変多く見受けられます。
非常に大規模な被害で、復興に大変な時間を有する事を考えると、この3ヶ月間で人類が出来る事は、本当に僅かなのかもしえれません。
僅かではありますが、被災者に何かお役にたてないか?との思いで以前より告知しておりました
『東日本大震災復興支援6.11チャリティーイベント』を当社敷地内で開催致しました。



生憎の天気で、準備している8時頃から大雨で心配されましたが、開始時間の10時頃には雨も納まりはじめると同時に、続々と御来場頂きました。
宮城県の『加美よつば農業協同組合』より農産物を、『?宮戸水産』より海産物をお送り頂き、主催者からは集めた品々をチャリティー品として提供させて頂きました。



はじめての試みで不安も残る中、御来場頂いた皆様が真剣に選う姿や、義援金と被災者へのメッセージにも快く御協力頂く姿は、人と人との温かさを感じて、私共もやりがいと繋がって行きました。
やはり開催する側としても、今後他の場所のイベントへの参加者としても、少しでも多く継続を続ける事が最も大切ではないかと思いました。



今回の主催者のメンバーです。
仕事の合間を縫うなどし多くの皆様が終結し協力しました。
この団結力で東日本に力を届けます!!!  


Posted by 常盤工業2 at 17:05

2011年06月13日

東日本大震災復興支援6.11チャリティーイベント開催しました!

6月11日(土) 東北地方太平洋沖地震から3ヶ月
首都圏や各地方の被害が余り及んでいない地域は、仕事や経済のダメージを除けば、日常生活で不便な思いに出会う事も少なくなって来たのではないでしょうか。
しかし被災地の現在の映像からは、まだ何も好転した様子の見えない風景が大変多く見受けられます。
非常に大規模な被害で、復興に大変な時間を有する事を考えると、この3ヶ月間で人類が出来る事は、本当に僅かなのかもしえれません。
僅かではありますが、被災者に何かお役にたてないか?との思いで以前より告知しておりました
『東日本大震災復興支援6.11チャリティーイベント』を当社敷地内で開催致しました。



生憎の天気で、準備している8時頃から大雨で心配されましたが、開始時間の10時頃には雨も納まりはじめると同時に、続々と御来場頂きました。
宮城県の『加美よつば農業協同組合』より農産物を、『㈱宮戸水産』より海産物をお送り頂き、主催者からは集めた品々をチャリティー品として提供させて頂きました。



はじめての試みで不安も残る中、御来場頂いた皆様が真剣に選う姿や、義援金と被災者へのメッセージにも快く御協力頂く姿は、人と人との温かさを感じて、私共もやりがいと繋がって行きました。
やはり開催する側としても、今後他の場所のイベントへの参加者としても、少しでも多く継続を続ける事が最も大切ではないかと思いました。



今回の主催者のメンバーです。
仕事の合間を縫うなどし多くの皆様が終結し協力しました。
この団結力で東日本に力を届けます!!!  


Posted by 常盤工業2 at 17:05

2011年05月23日

軍艦島上陸作戦

長崎県長崎市にある端島は当時、日本海軍の軍艦土佐に島の姿が似ている事から、通称”軍艦島”と呼ばれ御存知な方も多いのではないでしょうか?
炭鉱で栄えたこの島は、日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅が建てられたり、三種の神器と言われたTV、冷蔵庫、洗濯機が、日本で一番先に島全体に普及したり、人口密度世界一の記録など、数々の歴史と記録等を残し1974年に閉山し無人島になった。

ゴールデンウィークを利用して行って参りました。当日は雨雲や中国大陸からの黄砂の為に写真の様に軍艦島の雰囲気にあった灰色で重苦しい天候でした。
上陸するには知っている限りで2つのクルーズツアーがあり、どちらかのツアーでのみ上陸が許されております。但し波の状況や天候などによっては上陸出来ない日もあります。少し心配しましたが難無く上陸が可能となりました。

TVや写真では観た事ありますが、この要塞の存在感は今まで触れた事の無い独特の雰囲気でした。
閉山から37年という月日はこの様な姿に簡単に変えてしまうのでしょうか? 戦争による大変な被害を受けたような少し痛々くもある悲惨な情景として感じてしまうのはなぜでしょうか?
ただ間違いなくこの島は日本の高度経済成長を影で支えて、学校や映画館、パチンコなど娯楽も揃い人々の笑顔があった島だった事は事実なのです。

島内は現在長崎市が所有しており、見学可能な所は足元が整備され安全に歩けますが島全体のごく一部に留まり、島の外周から見通すようなコースとなっております。残念ながら昔の学校などには近づけませんが、貴重な体験が出来大変満足しました。

写真の様な落書きも昔からあったんですね〜。とスタッフに尋ねると、この島は話題となりしっかり管理されるまでは、勝手に島に入り込み、落書きや悪戯、放火など多くの問題があったようで大変残念な姿を納めました。
実は、訪問時にも島を囲む防波堤は市の管理では無いらしく、ツアー客以外の一般の方が釣りを楽しんでいる姿を何度か目撃しました。
自身で船で乗りつけているようですが、数組目撃しました。彼らはその気であれば簡単に島内に入り込む事が出来る様な所で平然と釣りをしておりましたが、市としても島内で無い為特別取り締まれないようです。
良いのか悪いのかは分かりません。世界遺産も視野に大切に保存していく為には多くの皆さんの理解が不可欠です。島内には入らないようにして頂きたいものです。  


Posted by 常盤工業2 at 09:29
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